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妖怪と宇宙人となつかしさのカタチ : 青田めい『うにうにうにうに』

「宇宙人」兼「妖怪」というキャラクター 

うにうにうにうに (1) (まんがタイムKRコミックス)

うにうにうにうに (1) (まんがタイムKRコミックス)

 

  

うにうにうにうに (2) (まんがタイムKRコミックス)

うにうにうにうに (2) (まんがタイムKRコミックス)

 

青田めい 『うにうにうにうに』は、河内家に居候させられることになった〈うに〉、河内家長女の〈ユキ〉 、末っ子で中学生の〈いわな〉、いわなの双子の姉〈やまめ〉、そしてうにの姉〈なまこ〉を中心とした日常系4コママンガである。

  ある日、ユキ姉ちゃんが外で拾ってきたのは、地球で迷子になった、「宇宙人」兼「妖怪」兼「ちびっ子」の“うに”だった。家族のいる宇宙に帰りたい“うに”と、帰したくない河内家のドキドキ同居ライフ第1巻!

(『まんがタイムきらら』作品紹介ページより)*1

 

本作品は登場人物のひとりである〈河内いわな〉の以下のような伝奇風モノローグから始まる。

晩ごはんを食べていると いつの間にかおかずが減っている事がある
それをいつも俺は3人いる姉の誰かのせいにしていたけれど
どうやらそれだけではないらしい

(1巻より)*2

いつの間にか食卓のおかずが減っている。それはいわなの姉〈河内ユキ〉が家に(無理矢理)連れてきてしまった〈うに〉の仕業であった。

  •  人に気付かれずおかずを1品ぬすむ
  •  人のソデをひいていたずらする*3

これら2点が「妖怪」としての〈うに〉の能力なのである*4

 

『うにうにうにうに』のメインキャラクター〈うに〉は「宇宙人」兼「妖怪」兼「ちびっ子」であると設定されている。

「宇宙人」兼「妖怪」であることの背景は以下のように説明される。

むかしむかしうんと昔 地球に宇宙人がこっそりやって来ました

宇宙人は地球人に色々な名前で呼ばれるようになり 日本では妖怪・幽霊と扱われるようになりました

でも最近の地球は空気も汚れてきたので 「そろそろまた別の星に行くか~」 という事になったらしいのですが
(1巻より)*5

さまざまな妖怪的存在の正体が実ははるか昔に地球にやって来ていた宇宙人だった、というのはマンガ的にはもっともらしい話であると同時に多くのフィクションでよく使われる設定でもある(影山理一『奇異太郎少年の妖怪絵日記』では「カッパ」を題材に逆にギャグのネタにされていた)。〈うに〉は、宇宙人同士の連絡網が回ってこなかったために他星への移住に取り残された宇宙人のひとりであった。

また 「ちびっ子」という設定については、猫のようなケモノ耳にしっぽ、色味の薄く明るい頭髪に子供っぽい髪型、幼い見た目に反し高齢である点(アラウンドフィフティー)など、最近の多くの萌え系妖怪キャラクターの常套が押さえられている。

 

妖怪 / 宇宙人キャラクターと〈懐かしいカタチ〉

編み笠を被り赤い着物にフリルのスカート、ブーツという〈うに〉の出でたちは、スカートとブーツはともかくとしても、おそらく「妖怪」らしく見えることを意図してデザインされているものと想像される(フリルのスカートとブーツは「妖怪」を連想させる要素とはいえないが、4コママンガのコマ割りの性質上キャラクターの腰から下が画面に入ることは少なく、読んでいてそれほど意識される点ではないためあえて例外的に扱う)。このようなデザインはどのような理由に起因するものか。そもそも笠と着物で何となく「妖怪っぽく」見えてしまうのはなぜか。

京極夏彦や菊地章太によれば、妖怪は懐かしさを感じさせる存在であるという。

京極夏彦は通俗的"妖怪"のイメージを満たす条件として以下の3つを挙げている(『妖怪の理、妖怪の檻』)*6

 A・妖怪は"前近代"的である。
 B・妖怪は"(柳田)民俗学"と関わりがある。
 C・妖怪は"通俗的"である。

そのうえで、「"妖怪"は懐かしいものである」「"妖怪"はA~Cの条件を満たす(それぞれの)そうした場所――現実には存在しない観念上の故郷、観念上の思い出――それぞれの原風景の中に住んでいる(に相応しいだろう)モノどもなのです」*7と定義する。

文庫版  妖怪の理 妖怪の檻 (角川文庫)

文庫版 妖怪の理 妖怪の檻 (角川文庫)

 

 

 菊地章太は「なつかしさにつながっている──現在の否定としての妖怪の存在理由」(2015年)において次のように述べている。

宇宙人は未来からやって来るタイプである。空飛ぶ円盤のイメージはいつだって近未来型である。しかし、妖怪はちがう。その反対である。過去からひょっこり出てくる。ひと昔もふた昔もまえの世代を体現している。だからこそ、かえって今を否定することができる。現在の秩序や常識をくつがえす別の価値観をたずさえているのである。*8

 ここでは、宇宙人=未来のイメージ・近未来風の姿、妖怪=過去のイメージ・古風な姿と両者が対置されている。

もちろん上述の主張に対し、妖怪は本当に「懐かしいもの」と言い切れるのかどうかとか、宇宙人を「未来からやってくるタイプ」とくくってしまうのはいささか大雑把に過ぎるのではないか、という指摘をすることもできるかもしれない。ただ、こと近年のフィクショナルな対象を考えるにはある程度有効な指標だと考え、これらを前提として『うにうにうにうに』のキャラクター造形に対する解答を示してみたい。

たとえば「宇宙人」であり「妖怪」でもある〈うに〉というキャラクターの、着物に編み笠姿という造形は京極夏彦のいうところの〈懐かしいカタチ〉*9に当てはまるものであるといえるだろう。

そのような意味において、〈うに〉のデザインは宇宙人らしさよりも妖怪らしさが強調されている(でも、うにの姉の〈なまこ〉は、さらしにジャージ着て原付バイクで登場するんだよな)

妖怪は〈懐かしいカタチ〉をしている。妖怪の正体は地球に来た宇宙人である。ならば、その宇宙人も〈懐かしいカタチ〉をしているかもしれない。

〈うに〉というキャラクターの造形には以上のような企図を読み取ることができるのではないだろうか。

 

「妖怪」兼「宇宙人」を受け入れるための作品世界

『うにうにうにうに』の世界において「妖怪」の正体は「宇宙人」であり、〈うに〉は宇宙人らしさよりも妖怪らしさがより打ち出されたされたキャラクターである。では、物語の主人公でもある〈うに〉自身の本質、拠りどころ、起源は何なのか。それがどうもはっきりしない。

〈うに〉の意識は物語が進むにつれて「帰りたい」→「帰りたくても帰れない」→「なんだかんだ言って帰らない」→「帰りたくない(帰ることが自由と思えない)」と変化している。

帰りたいと言いつつそのジツなかなか帰らない(帰りたくない)。そのように思っていても、離れた故郷をなつかしく想わずにはいられない。それはいわゆるノスタルジアの心情であり、〈うに〉自身のノスタルジアは故郷である宇宙に向いているといえるだろう。

(このノスタルジア(なつかしさ)はあくまで「宇宙人」としての〈うに〉の心情である。河内家に来る以前、「妖怪」としての〈うに〉が地球のどこでどのように過ごしていたのかということは――たとえば、いかにもノスタルジックな田舎で妖怪的な活動をしていたのかもしれないというようなことは――物語の中でまったく描かれていない)。

〈うに〉は物語の前半こそ「かえりたい」と繰り返し訴えるのだが、作中において彼女の帰るべき故郷の姿はひじょうぼんやりとしている。〈うに〉と〈なまこ〉の姉妹は作中で頻繁に故郷の父親と矢文(「うちゅうデンポー」)で手紙のやりとりをする。しかし地球にやって来た姉〈なまこ〉以外の家族がどのような姿をしているのか、また彼女たちの故郷が具体的にどのような光景なのかという描写は一切ないのである(それを言ったら河内家の父母が家にいない理由もとくに語られないのだが...)。〈うに〉は漠然と「うちゅうにかえりたい」と言うだけで、はたして特定の母星があるのかすら曖昧だ。
ストーリーの中心となるのはあくまで河内家のひとびととの楽しくも少しずれた日常であり、全編に渡って物語のフィールドがそこから動くことはないのである。

 

この日常系補正とでもいうべきストーリーの強制力は作品のSF設定にも働いている。単行本第2巻において、それまで不在だった次女〈河内サツキ〉が登場する。彼女はフランスで宇宙の研究をしており、お盆のため実家に帰省してきたのだ。そしてこの〈サツキ〉によって宇宙人〈うに〉に関する他者視点の情報がはじめてもたらされる。

彼女は〈うに〉が「ニャルニャロ型宇宙人」だと指摘し、以下のように語る。

「ニャルニャロ型宇宙人は猫のような耳を持ち 色素はうすく… 青い目をした人型の宇宙人です! 知能は極めて高く狡猾な性格で 心無い種族ゆえにその存在は一般人には秘されているのです! 今すぐ追い出すべきです!」

(2巻より)*10

 しかし新展開を予感させた〈サツキ〉の到来も、彼女が〈うに〉をかわいらしい愛玩対象かつ観察対象として受け入れてしまうことにより結局なあなあになってしまう。

 

日常系とかわいらしさがすべてにおいて優先する。河内家のひとびとは〈うに〉がかわいいがゆえに手放したくない。最初はそこから脱出したかった〈うに〉も周囲に甘やかされているうちに次第に馴染んでいく。そうして、〈うに〉という本来異質な存在を強制的に溶け込ませる舞台が成り立っていく。作者があとがきで記しているように、『うにうにうにうに』という作品の主眼はまさに「うにちゃんとどうやって遊ぼうかな?」*11というところにあるといえる。そのためには、故郷がどこであるのか、況して本質が妖怪か宇宙人かという設定のあれこれはストーリーから後退してしまうのである。

 

オチはない。

 

 

 しかしいわゆる「民俗学っぽい」(と言ってよいのかわからないが)イメージで見られる妖怪キャラクターが読み解かれるキーワードとして現状求められているのが「いま」でも「ここ」でもないというのは皮肉だと思わずにはいられない(どの口が言うかという話ではあるが...)。

 

*1:"まんがタイムきらら - 作品紹介ページ - まんがタイムきららWeb" http://www.dokidokivisual.com/comics/book/past.php?cid=936

*2:青田めい『うにうにうにうに 1』(MANGA TIME KR COMICS)、芳文社、2014年、9頁

*3:言うまでもなく、元ネタは「袖引き小僧」。

*4:青田めい、前掲書、12頁・20頁

*5:青田めい、前掲書、12頁

*6:京極夏彦『文庫版 妖怪の理、妖怪の檻』(角川文庫)、角川書店、2011年、352頁

*7:京極夏彦、前掲書、354頁

*8:菊地章太「なつかしさにつながっている──現在の否定としての妖怪の存在理由」、小松和彦編『怪異・妖怪文化の伝統と創造 ウチとソトの視点から(国際研究集会報告書 第45集)』、国際日本文化研究センター、2015年、19頁

*9:京極夏彦、前掲書、449~553頁

*10:青田めい『うにうにうにうに 2』(MANGA TIME KR COMICS)、芳文社、2015年、46頁

*11:青田めい、前掲書、119頁