『リザとキツネと恋する死者たち』
4月1日に観た。
あらすじ:舞台は70年代のブダペスト。元日本大使未亡人マルタの専属看護士を務めるリザは狐の呪いに憑かれていた。恋に恋するリザは30歳の誕生日に出会いを求めてハンバーガーショップでセットメニューを注文するがそのあいだにマルタが急死してしまう。日本の昭和歌謡シンガーの幽霊であるトミー谷はリザの唯一の友人であったが、嫉妬深さから彼女に言い寄る男たちを次々と呪い殺していく。全裸刑事ゾルタンは悪霊トミー谷の魔の手から彼女を救うため無私の愛でアパートの壊れた備品を修理するのだ!
この映画のなかの日本のイメージは徹底して複製物を介して結ばれた幻想として立ち現れている。
作中では微妙にズレた日本のイメージが描かれるわけだが(もちろん分かったうえでわざとズラしている)、劇中、そのイメージソースとして用いられているのは日本の三文小説と博物館のパンフレットに掲載された浮世絵の図版、そしてトミー谷の亡霊である。
リザは自分が狐の呪いに憑かれていると恐怖するが、それは浮世絵の図版とそこに付された解説から得た情報によって構築された像であり、直接的に狐の妖怪が猛威を振るう場面は描かれない。
また、繰り返し流れるトミー谷の曲「ダンスダンス★ハバグッタイム」の不安定なメロディーが終始おかしみと不穏さを誘うが、実際のところ彼はラジカセから流れる自分の曲に合わせて踊るのみで自ら声を発することは出来ない(もっと言うと、幽霊の姿以外でトミー谷の像が出てくるのはリザの部屋に張られたポスターの半身像のみであり、やはり直接的なイメージは登場しない)。
重要な部分をつねにメディアによって複製されたイメージが媒介をしている。
偏った想像力によって増幅された幻想(虚構)が現実を侵食していく。
それを映画で見ているというある種の入れ子構造。
メタとネタをひじょうにうまく練り込んでいるという点でたいへん好みの作品だった。
...とまあ、それらしいことを言ってはみたものの、映画のなかでやってることは最初から最後までナンセンスなギャグなのであって決して真に受けてはいけない。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
4月4日に観た。
3時間の映画を見るのは鑑賞体験としてはなかなかたいへんだが、全編かなりテンポよく進むので少なくとも退屈はしなかった。
流されるままにつくりごとにつくりごとを重ねていって、みるみるうちにどうしようもならなくなっていくストーリーは、黒木華の所在なさげで危なっかしさを誘う演技もあって、とくに前半にかけてはひじょうにドキドキさせられる。だが、そこはサスペンスではないのでスリルとかアッと驚く急展開みたいなものはおそらく本質ではない。
とはいっても、場面展開はなかなかに目まぐるしく(中盤~終盤にかけてはそれなりに落ち着くものの)、180分間のあいだにほぼ10~15分間隔で場面がころころ変わっていく。そして綾野剛の衣装もそのたびに変わる。
そのせいもあって、綾野剛演じるキャラクターだけが、まるで観客の側に立って俯瞰的かつ自由に場面を行き来しているように見えてくる。
もっと何か書こうと思ったのだが、パンフレットに複数の著名人のコメントが出ていて感想らしい感想はそこでだいぶ出尽くしている感があり、それを見てしまうと正直あえてここに書くようなことがあまり思いつかない。そこまで公式がカバーしなくてもいいのよ。
綾野剛が強キャラすぎて何をやっても嘘くさく見えてしまうのだが、しかし同時に詐欺師役がめちゃくちゃ似合う役者だという発見もあった。
いわゆる岩井俊二監督作品らしい、2人の若い女性がキラキラした映像のなかで楽しげに遊ぶ画面の美しさはそれだけでも見る価値があると思わせる。